シェアするのが当たり前の文化

文化
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知人のアフリカ人女性から聞いた

ガンビアのコモンセンスについて

私が感じたことをシェアさせて頂きたいと思います。

 

彼女の国では、知らない人でも目が合ったり、人が近くに来たら

声をかけ合って軽く世間話をするそうです。

もし彼女が友人とレストランへ行って、

その友人がおごってくれると言ったら、それを素直に受けれておごってもらうのだそうです。

もちろん、状況は様々です。例えば彼女がお金をおあまり持っていなかったとか

友人が給料をもらったばかりで、羽振りがよかったからかもしれません。

そして、次は彼女が誰かにおごってあげるか、何かをあげるか、何かをしてあげるかして

その恩を周りとシェアするのだそうです。

別にその友人に直接恩を返さなくてもいいのだそうです。

 

 

そういう感覚が皆で共有されているので、自分が困っているときは

誰かが助けてくれると信じているそうです。

また、他人に優しくしたり、丁寧にあつかったりするのは

自分が逆の立場だったら、そのようにしてもらえると嬉しいからそうするのだそうです。

 

 

 

ここまで聞くと、「あ~なんて素晴らしいんだ!」なんて思ってしまいそうですが

ここで考えなければならないことは、

物事には必ず別の側面が存在するということです。

 

 

素直におごられるかわりに、普通におごってくれとも言われるという事です。

ちょっと困っていたら助けてもらえる代わりに、

すごく困っている人から助けてくれとサクッと言われるということでもあります。

そして、そんなコモンセンスを共有しているがために

協力しなければなりません。

もちろん彼らは生まれながらにしてそのセンスを共有しているので

助けてくれと言われたり、

今日はお金がないからおごってくれと言われれば

当たり前に喜んで応じるのだと思います。

 

 

ところが、もしこのコモンセンスを日本人と共有するとしたら

果たして日本人はどう感じるでしょうか?

この感覚は昔の日本を思い出させます。

困っている人を助け、お節介をやく。

でも、現代の日本でこれをシェアすると

かなりメンドクサイと思うはずです。

「お前のものは俺のもの、俺のものはお前の物」

この感覚が共有できますか??

 

 

 

物事には常に逆の側面があるということを考えないと

ただ、感動するだけで終わってしまうという話です。