感謝はするものではなく湧いてくるもの

スピリチュアル
DSC_1805

 

「プレゼント」というと、

何か特別な日に特別なものをもらうことを

思い浮かべると思いますが、

「物をもらう」ことだけにとらわれなければ

私達は毎日たくさんのプレゼントをもらっています。

 

 

例えば

・毎日「おいしく食べられる」というプレゼント

→口内炎があったり、歯が痛かったりすると

おいしく食べることができませんね。

 

 

・毎日「食事にありつける」というプレゼント

→もし災害などでインフラが途絶えてしまったら

食料を買うことができませんね。

 

 

・「学校または職場へいくことができる」というプレゼント

→もし体調が悪かったら行くことができませんね。

 

 

・「いつでも歩いて自分の好きなところへ行ける」というギフト

→足に怪我をしたり、骨折したりしたら、

自由に歩くことができませんね。

 

 

・「声を出して意志を伝えることができる」というギフト

→もし声が出なくなったら? 

声が出せない不安を感じたことがありますか?

 

数えあげればきりがないほど

私達の生活の中に「プレゼント」がとけこんでいます。

それに気づくことができるがどうかだけなのです。

 

私達が当たり前にできることが

あたりまえでなくなったとき

それがどれだけ有難かったかを知ることができます。

 

あたりまえのことに感謝する気持ちを向けられると

毎日、毎瞬が感謝で満たされます

「感謝しよう」なんて思わなくても

「有難くて」感謝の気持ちがあふれてくるのです。

 

ちなみに、上記の例は私が全て経験したことで

「失って」初めて気づきました。

 

もちそん、毎日それらの「失った」ときのことを

思い出しているわけではありませんが

ふとした時によみがえり

今あることのありがたさをひしひしと感じます。

 

それによって「有難い」と思えるのですから

「失うことの経験」すらもギフト

といえるかもしれませんね。

 

「感謝を習慣にする」とはよく言われていることですが

口だけで「感謝」と言っても

それでは心は動いていません

 

本当にありがたいと思ったときに心は動きます。

その心の動きが大切なのです。